令和6年3月に千葉・房総半島の旅に出ました。
その時に、帰り道に埼玉の「吉見百穴(よしみひゃくあな)」を訪れました。
何の気なしに行った場所でしたが、なんともインパクトの強い外観に訪れてみました。
吉見百穴の基本情報
吉見百穴は、古墳時代の後期から終末期に作られた横穴墓です。だいたい6世紀末~7世紀末くらいだそう。「国の史跡」になっている場所です。
横穴は219基あるそうです。
吉見百穴
住 所:埼玉県比企郡吉見町大字北吉見324
電 話:0493-54-4541
営業時間:8時30分~17時
(最終入場は16時30分まで)
料 金:中学生以上300円
小学生200円
駐車場:有 無料 平面
吉見百穴の案内図
なかには、売店と百穴資料館、埋蔵文化財センターがあります。
資料館も無料で中が見れるので、見学お勧めです。
入場口
こちらで、観覧料をお支払いします。
大人(中学生以上)300円、小人200円です。
駐車場
吉見百穴の入口を少し超えて、左折してすぐの場所に無料の駐車場があります。
トイレ
吉見百穴を入場して、左側にトイレがあります。
綺麗な水洗洋式トイレでした。
吉見百穴の見どころ
私達が訪れた時が雨だったので、ちょっと綺麗にとれませんでしたが、まずは、この全体の雰囲気をお伝えしたいです。
百穴資料館で時代や百穴がどのように作られてきたのか知ろう
吉見百穴は、古墳時代の末期に作られた横穴墓。3~4世紀の初期の古墳は竪穴式の石室ですで、お墓に入るのは大豪族や大王。
それが、古墳時代後期には側近などの有力者も古墳を造成するようになったそう。
このころに大陸から横穴式の石室構造が伝来して、一つの古墳に複数の死者を葬る「追葬」を行うようになったようです。
吉見百穴の下の部分は、昭和19年末から昭和20年の始めに軍需工場が作られました。
地下壕が軍需工場の跡です。
こちらに入ることはできませんが、資料館で中の映像を見ることができます。
吉見百穴の横穴式石室に入ってみよう
さて、吉見百穴は実際に登って見学をすることが出来ます。
このように、手すりと階段があるので、安全に登っていくことができます。
このように、玄室が工夫されていたことなど、案内板を読みながら進むと、さらによく分かりました。
いくつか、入れる穴もあり、穴まで道が確保してあるので、お邪魔してみました。
やはり、お墓なので、静かに見学させてもらいました。
お墓と思うとちょっと怖かったですね。
丘の頂上(見晴台)には 展望が広がる風景が見られます
私達が伺った時には雨だったので、眺望は望めませんでしたが、案内板によると「富士山」を含む山々と、街並みが見れるようでした。
軍需工場跡の様子を外から見学できる
軍需工場跡には入ることは出来ませんが、外から見ることができます。
戦争がはじまると、全国規模で戦争の動きがあることが、旅をしていると分かりますね。
全国のあちこちで、戦争関連跡を見かけることがあります。
ヒカリゴケを見ることができる
こちらで、ヒカリゴケを見ることができます。
こちらののぞき窓から中を見ると、わかるでしょうか。
のぞき窓をふさぎきると、中が真っ暗になって見えません。
難しいですね。
カメラには上手く映りませんでしたが、「たぶんこれ?」という感じで見ることができました。
吉見百穴のキャラクターさんは可愛い
吉見百穴のある吉見町は、いちごの産地でもあります。いちごの生産量が埼玉1位だそうです。
休憩所にあったスタンプのキャラクターもイチゴのデザインです。
見にくくてすみません。旅のなんでもノートに押すので、裏のスタンプが透けたりします。
たぶん吉見百穴をいちごに見立ててるのかな。
そう思って改めて吉見百穴見ると、イチゴに見えてくるかも。
吉見百穴のまとめ
今回、車中泊した「よしみ」で、観光地を探していたら、こちらの情報を見つけました。
最初は、よくわからず訪問したのですが、行ってみると、とても面白い「史跡」でした。
先日、九州の吉野ヶ里で甕棺を見たばかりなので、古墳時代後期の横穴式石室も興味深く見学できました。
お墓の文化を見ても、日本は、大陸の文化に影響を受けて、文化を築いているのがよくわかります。
外観から変わっていて、興味をひくとともに、例のキャラクターを見てから百穴を見ると、何だか温かみのある場所の気もしてきます。
もし、埼玉に行かれることがあれば、一度、実際に見てみられてはいかがでしょうか。
ネットニュースで紹介されている写真を一目見て「何だこれは!」と思い、実際に見てみたい衝動に駆られた場所やで。
実際に見ても、たくさんの穴のあいた小山の風景に、ちょっとびっくりする感じだったよ。
では、埼玉に行かれる際の参考にしていただければ幸いです。
ではでは、また!!
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