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令和7年3月に、本州最西端と島原をめぐる旅に出ました。
今回は、1番の目的地である「原城跡」を、訪れました。
その時の様子や観光ポイントなどまとめました。
原城
有馬晴信によって築城。その後、島原城が築城され、廃城となった。
度重なる飢饉と重税、領主の弾圧に耐えかねて、農民等が蜂起し天草四郎が総大将、最終的に37,000人が原城に籠城。
原城籠城は約3か月間にも及んだ。
原城跡の基本情報
原城跡
住 所:長崎県南島原市南有馬町
料金:無料
※ボランティアガイドによる案内は大人1人500円/家族一律1,000円
駐車場:有 無料 平面
国道251線沿いと原城温泉真砂付近にあり

<出典:原城跡にある現地案内看板>
こちらが原城跡にある案内看板になります。
城内にも畑があり、入り口となる大手口から天守閣までは、距離があります。
駐車場の状況

私達は、原城温泉真砂の付近の駐車場を利用しました。
こちらの駐車場は広く、無料駐車場になります。
場所は、原城跡よりも、原城温泉真砂を指定すると分かりやすいです。
原城跡の追手口側になります。
トイレの状況

駐車場から出発前に、原城温泉真砂のトイレを利用できます。
また、総合案内所が本丸地区にあり、そちらでもトイレが利用できます。
本丸近くにも、公衆トイレがあります。
原城跡の観光時間
私達は、ワンコインガイドさんから約40分間、案内とお話をお伺いし、さらに自分たちで、もう一度、主だったところの写真を撮りました。
私達の観光所要時間:約60分
原城跡の観光ポイント

原城跡の見学に利用しやすい、真砂温泉駐車場側から入ると、追手口側になります。
原城は城の正門になる追手口が海側にあったんですね。
発掘調査では、通路となる玉石敷きや、銃弾、人骨の一部が出たそうです。
戦闘のあった場所なんですね。

原城跡はかなり広いです。
見どころが、どこなのか、人によって違うかもしれませんが、事前に知っておくと、観光しやすいですね。
また、当日予約なしでも案内していただける、ワンコインガイドさんもおられます。
総合案内所にて、申し込めます。

私達は、ワンコインガイドさん(有料)に、案内をお願いしました。
案内板にない説明や、効率よく案内をしていただけたので、とても良かったです。
ワンコインガイド
土日祝限定で、ガイドが原城跡で簡単に説明します。
(※ワンコインガイド:予約不要)
受付時間: 9時30分~16時
(※年末年始、雨天中止)
受付場所:原城跡総合案内所
料 金 :大人1人500円/家族一律1,000円
案内場所 :原城跡本丸
所要時間: 約40分
三の丸跡・二の丸跡

すごく広い土地が広がっているなあ、という印象の三の丸です。
島原の乱を書いた小説の中でも、なかなか本丸に近づけない描写があり、城の大きさを感じます。
小説の中でも、幕府側の攻めあぐねる様子や、籠城の食料が尽きるのを待つほど、攻めるのが難しいお城のようでした。

二の丸跡には何だか、畑がありましたよ。
そして、この訪問した時期には、祭りに向けて、一夜城を建てるそうで、足場が組まれていました。

この場所が、「島原の乱」の当時には、戦場になって、大変だったんでしょうね。
小説「ゼウスの城」や「パシオン」という島原の乱を描いた本の後半の戦闘の場面を見ると、激戦で大変だったと感じました。
本丸周辺の見どころ

<出典:原城跡にある現地案内看板>
本丸正門跡

原城本丸に入ってくる門です。
今は、門の基礎となる石が残っています。
こちらの門は、現在も石垣が残り、折れ曲がりを確認できます。
枡形虎口となっています。
埋門(うずみもん)跡

原城本丸の2つ目の門の跡です。
原城は一揆の後に、幕府軍によって、徹底的に壊されてしまったそうです。
今は壊された後の築石などを見ることができます。
櫓台跡(天守台跡)

大きく張り出した石垣が天守台跡。
宣教師の残した報告書では、三層の櫓が建てられていたと記述があるそうです。
原城の姿を想像したい場所です。
YouTubeで原城VR~よみがえる原城~(南島原市)1分13秒の動画を見るとよくわかります。
本丸門跡

原城で本丸へと繋がる最後の門です。
基礎石が残っていて、見ることができます。
他の門と同様、一揆後に破壊されてしまいました。
天草四郎家推定地

本丸門跡の横に、天草四郎の家と考えられる場所があります。
こんな入り口近くに四郎の家があるとは、驚きです。
ガイドさんの話によると、この四郎の家からは、戦場となった場所がよく見渡せる位置なのだそうです。
天草四郎の像

ガイドさんに教えていただきましたが、こちらの像の姿は、島原城と同じなのだそうです。
像の作者は、南島原市出身の彫刻家、北村西望氏です。
天草四郎時貞の碑

本丸の奥に進んでいくと、天草四郎時貞の碑があります。
天草四郎時貞は、小西行長の家臣、益田甚兵衛の子です。島原・天草一揆の総大将として、15歳で総大将を務めた人です。
どのような状況で総大将となったのかと、考え込んでしまいますね。
「デウスの城」と「パシオン」に描かれる天草四郎像はそれぞれ違っていました。

そして、天草四郎の碑の近くに大きな十字架がありました。
三体の石像

こちら、柵の外にひっそり立っていて、ガイドさんに聞かないと、気が付きませんでした。
真ん中が天草四郎だそうで、一揆軍が一揆を決意した場所「湯島」の方を見ているそうです。
なんだか、物悲しい感じがしました。
池尻口門跡

発掘調査で、門と思われる礎石や、石垣、階段などが発見された場所。
旅を楽しくする本
私は、以前からキリシタン弾圧の歴史や、天草・島原の乱に興味がありました。
長崎の教会などを訪問するたびに、興味深くなってきました。
今回は、観光後に1冊の本を読みました。
架空のお話ではありますが、後半に原城での戦いの場面もあり、今回の旅で訪れた場所が、思い起こされます。
また、キリシタンの弾圧が、どのように進んでいったのかも知ることができました。
もしよければ、旅の前か後に、読んでみられると、旅の楽しみ方が広がると思います。
デウスの城 著者:伊東 潤
こちらは、関ヶ原の戦いの西軍キリシタン大名小西行長の小姓・彦九郎と善大夫、そして佐平次。
戦いに敗れて主家を失った三人がそれぞれ、キリシタン一揆側やキリシタン弾圧側など、全く違う立場になる。
やがて、三人のそれぞれの立場からキリスト教と向き合い、島原の乱の中で、三人はそれぞれの役割を果たしていく。
この話の中には、もちろん天草四郎が出てきます。服部半蔵も出てきます。(何代目かな?)
また、原城での最後の戦いも出てきます。
とても島原を感じることの出来るお話です。
今回は、原城跡ということで、天草・島原の乱の原因から、知ることができて、とてもいい旅になりました。
私自身は、数年前から長崎を訪れることが多く、訪問したかった原城跡に行けて嬉しかったです。
長崎のいろんな場所で、キリシタン弾圧の歴史を知る機会があります。
長崎を訪れた時には、原城跡もおすすめです。

ここは、キリシタンの歴史を知ったうえで訪れると、とても心にしみる場所になるよ。
先に、天草キリシタン館に寄ってから行かれることをお勧めします。
長崎旅行の参考にしていただければ幸いです。
ではでは、また‼
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